【10・21付琉球新報・コラム】
◆<金口木舌>継ぐ「宮森」に思い 10・21 琉球新報・コラム
・コラムの前半を引用
あまりに過酷な体験にさいなまれた半生である。うるま市にある宮森小学校で1959年6月30日発生した米戦闘機墜落事故の現場にいた豊濱光輝さん(79)は今も当時を思い出し、身をよじる
▼16日に那覇地裁沖縄支部で開かれた第3次嘉手納爆音訴訟で証人として出廷した。戦争や墜落事故への恐怖、精神被害が時代を超えていかに大きいかを立証する証人だ
▼事故直後の様子を聞かれた豊濱さんはうなだれ、しばし沈黙した。「耳もない、目もない、唇もない…。思い出すと時計が止まったように安置所に引き戻ります」。おえつをこらえて言葉を絞り出した
▼安置所を次々と訪れる遺族が「これはうちの子じゃない」「これが人間か」と、わが子の生存を信じてやまない叫びに返す言葉もなかった。「教師としてなぜ子どもたちを救えなかったのか」。悔恨は今も続く
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