【2県紙・社説が安倍政権による「道徳の教科化」を厳しく批判】
●10・23付2県紙・社説が安倍政権による「道徳の教科化」を厳しく批判しています。安倍首相による「道徳の教科化」の目的は「戦争する国」「戦争のできる国」をになう将来の国民、子どもたちに「愛国心」を擦り込むことです。それは戦争を準備するための洗脳です。もっと端的にいえば、「国のために死ねる国民」を大量生産することです。
◆<社説>道徳の教科化 価値観押し付けを危惧する 10・23 琉球新報
◆社説[道徳の教科化]心の内 評価できるのか 10・23 沖縄タイムス
〔参考記事・社説〕
◆<社説>道徳の教科化 価値観押し付けを危惧する 10・23 琉球新報
・記事なら抄出
中教審が「道徳」の教科化を答申した。国による価値観の押し付けにつながりかねない動きだ。
答申は、現在は正式教科ではない小中学校の「道徳の時間」を教科として位置付け、検定教科書や評価制度を導入する内容だ。
授業は原則として担任が行い、評価は数値ではなく記述式にするというが、子どもの内面に踏み込む分野をどう客観的に評価するのか。甚だ疑問であり、教育現場に混乱をもたらしかねないことを強く危惧する。
道徳の教科化はもともと、教育改革に熱心な安倍晋三首相が強い意欲を示してきたものだ。
教科化は、戦前の「修身」の反省の上に立つ戦後日本の教育の重大な転換点となるはずだ。安倍政権は本年度内には教科書作成の基本となる学習指導要領を改定するという。愛国心教育を推進するための基盤づくりとして教科化を急いでいるとしか思えない。
教科化に対する学校現場の不安は根強い。専門家からも「子どもは本心を隠して迎合した発言しかしなくなる」(教育評論家・尾木直樹氏)などの声がある中、教科化を進めることは間違っている。
子どもたちの多様な価値観を養い、自ら物事を考えて社会で健やかに成長していくために学校教育に何が求められるのか。国民的な議論を喚起する中で、望ましい道徳教育の在り方を模索すべきだ。
◆社説[道徳の教科化]心の内 評価できるのか 10・23 沖縄タイムス
・記事から抄出
安倍晋三首相が意欲を示す道徳の教科化が、2018年度から実施される見通しだ。個人の価値観とも関わる道徳教育への国の関与は、戦前の「修身」による愛国心教育を思い起こさせる。時代の歯車が逆行していくような危うさを感じる。
中央教育審議会(中教審)が、現在は正式な教科ではない小中学校の「道徳の時間」を、教科に格上げするよう下村博文文科相に答申した。
答申の柱となるのは、検定教科書の使用と評価の導入である。文科省は、答申を受けて、道徳に関する学習指導要領の改定と教科書の検定基準作成に着手する。
検定教科書の使用は、国による特定の価値観の押し付けや、子どもの思想統制につながる懸念が拭えない。
文科省は今年、教科書検定の基準を見直した。愛国心条項を盛り込んだ教育基本法の目標に照らして重大な欠陥があれば不合格にする-というものだ。これでは教科書会社が萎縮し、政権の意向に沿うように進む恐れがある。
第1次安倍政権では、教科化に中教審で異論が出て見送られた経緯がある。それがなぜ、了承されたのか。戦後教育の見直しにこだわる安倍政権が国家統制の色濃い教育政策を次々と打ち出し、その流れが加速しているのだ。
教育現場では教師たちが、さまざまな教材や工夫で、子どもたちの心を育てる道徳の授業を行っている。テーマによっては、すぐには答えの出せない問題について話し合うこともあるだろう。正解は一つではない。道徳教育とはそういうものではないか。
教科化は「評価」の対象ともなる。答申では点数制ではなく、記述式による評価を提言したが、心の内をどう評価するのか。子どもたちに警戒心を与え、画一的な価値観を植え付ける恐れがある。それはもはや教育とはいえない。
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